『さくらびと』


 気配を感じて差し出した冷たい手のひらに、光の欠片が音もなく舞い降りる。
 自分の属する力と対極にいるはずの、忌々しき聖なる輝き。
 だが、そこに穏やかすぎるほどの意思を感じて、銀の男はポツリとつぶやいた。


「……そうか、逝ったか」


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 『彼』と出会ったのはもう遠い昔のこと。それは熱気にわく闘技場で、だった。
 まだ一介の剣士だったピサロは、かつての魔王の御前試合において、立場も何もかもを超え、ただ純粋に極みを目指す者同士として彼と対峙し、そして、長い長い闘いの末、勝利した。
 だが掴んで当然のはずの栄光は、とてつもなく苦いものとなった。
 ピサロの操る呪術は古代魔王の再来とも、それすら凌ぐとも言われている。
 ひとたび魔法を使えばいかなる敵をも一瞬にして葬りさることができるだろう、とも。
 だからこそピサロは、この戦いにおいて、呪の一切を封ずると、己に誓いを課していた。
 あえて剣のみで。立ちはだかる存在を自分自身の剣技のみで根こそぎねじ伏せることで、その場に居合わせる者共全てに、我は呪のみにあらずと知らしめ、また、我こそが頂点に立つにふさわしい者だと認めさせてみせると固く固く心に決めていた。
 そして誓いのままに、ありとあらゆる猛者を地に沈めてここまできたのだ。
 最終戦に向かうにあたってピサロは『彼』についての情報を得た。
 『彼』は魔術の類を一切使えない。生粋の剣士だ。
 ……ならばなおさら、自分が呪を使うことは、真剣勝負においてフェアではない。
 ……同じ条件下において戦い勝利してこそ、賜る栄誉は価値を増す。魔力の波動すら封印すべきだ、とそれがピサロの出した結論だった。

 しかし、此度の戦いは今までとは大きく違った。『彼』が相手ではそう簡単にはいかなかったのだ。
 力は拮抗し、やがてピサロはじりじりと押されだした。
 『彼』の方が、体力も持久力も僅かながらにピサロを上回っていたのである。
 それは、普段ならばどうということもない程度の差であった。
 だが生死すら左右する闘いの場においては、ほんの僅かな差がまさに天と地ほどにもなる。
 どれほど技の応酬が続いたか。
 ピサロは、何度目になるかわからぬ上段からの重い攻撃を受け止めたまま、とうとうがくんと片膝を着いた。

 客席からどよめきが波のように押し寄せてきた。


『次期魔王と噂されるピサロが、名も無き剣士を相手にまさかの敗北?』


 どよめきが声となって襲い来る。
 深紅の瞳に焦りの色が浮かんだ。


『……否。……否。否!!私はここで負けるわけには、いかぬ!!!!!!!!』



 次の瞬間。

 歪めた唇の端から、ちっ、と舌打ちが漏れる。
 無意識に、大きく広げた手のひらを突き出す、同時に迸ったのは、紅蓮の業火。
 発動に付き物のはずの波動のさざなみすら感じさせぬその攻撃に面くらい、『彼』は思わず顔を覆い大きくのけぞった。
 一瞬の隙を逃さず、ピサロは体勢の崩れた相手を蹴り飛ばし、仰向けに転がった首筋に、ぴたりと大剣の鋒(きっさき)を突きつけた。


「……まいり、ました」


 呻くような『彼』の一言で、最終戦は決着を迎えた。

 だが全てを制したピサロの顔には、勝利に対する歓喜の色など微塵も浮かんでいなかった。
 唇を噛み締め跪くと、剣技一本で生きる者に対し呪を向けた無礼を詫び、深々と頭を下げたのだ。
 ピサロの実直さ、気高さに、『彼』もまた心を動かされた。
 かくして、主を持たぬと頑なに己を曲げなかった剣士は、自ら望んでピサロの配下についたのであった。


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 その日から、主従関係にありながら、時に好敵手として、時に唯一無二の相談相手として、また互いに口にこそ出さなかったが、かけがえのない友としても絆を深め合ってきた。
 どれだけ剣を交えても、結局あれから勝敗はつかなかったけれど 。
 2人は幾つもの夜を費やして、互の理想を語り合い、いかにして現実にするかを大真面目に議論した。
 ロザリーヒル。種族を越えて生きとし生ける物が手を取り合い笑うあの村は、2人の目指す世界を模した箱庭だったのだ。

 共に歩み背中を合わせるだけで、いつだって熱く無鉄砲な頃に戻ることができた。
 己の弱みであるロザリーを託したのも、『彼』だからこそ。
 そして、『彼』も持てる限りの力で、いや、それ以上で応えてくれた。

 ……どこかに、巻き込んでしまったという後悔はある。
 自分が王でなければ。こんな形で出会わなければ。
 もっと違った道があったかもしれぬ。


 ピサロの追想に応えるように、淡い燐光の花びらは数を増し、降り注ぐ。


 ああ、これでまた独り。
 ここから先は、一人で行く。
 やらねばならぬ、何を引き換えにしても後戻りは許されぬ。
 愛しいと思うモノを守るために。あの日の夢を夢で終わらせないために。


 ざぁっと、花吹雪が大きく渦をまいて、思わずその行方を目で追ったピサロの口元が、淡く弧を描いた。



――『この身は朽ちても、我が護るべきは、今を生きる貴方様ただひとりにございますれば』――



「……そうだな。私はもう一人では、ないのだな。お前と会ってから今までも、これからも」


 瞳を閉じ、ゆっくりと差し出した両の手のひらに幾千もの花びらが舞い降りては、風と戯れる。
 ピサロは大きく、大きく息をついた。


「詫びは言わん。別れの言葉も言わん。
 これからも、お前の志は私と共にあると信じている。
 そして、幾星霜越えた暁に」


 開けた深紅の瞳にふっと、澄んだ光がよぎった。


「私たちの理想郷で、また会おう。
 今度は王でもなく、家臣でもなく……ただの、親友として。必ず」


 応えるように、ひときわ大きく動いた花弁の渦がピサロの足元を包み、遥か上空へと舞い上がっていく。
 空に溶けるように、薄れゆく花霞の先で『彼』が笑った気がして、ピサロは大きく腕を伸ばし、力強く拳を握って突き出した。


「生まれ変わったら、花吹雪の季節にまた会おう。
 約束だ……いいな、『アドン』!!」


 忘れぬ。私に仕えると決めた日に、お前が捨ててくれた名を、私はこの命尽き果ててもなお忘れはせぬ。
 そして必ず。この世界を浄化する力を手に入れて、お前と語り合った理想を現実にしてみせる。
 弱いものが虐げられることがない世界を。種族も身分も越えて、誰もが心の底から笑い合える世界を。この手で、必ず。



 決意に楔を打ち、ピサロはマントを翻して歩き出した。
 目指す先は永き眠りを貪る煉獄の帝王の御膝元。
 再生と破壊は表裏一体、まずはこの世界にはびこる害虫を、一匹残らず駆除するところから始めねばならない。
 誰にも任せてはおけぬ。誰も信用なぞできぬ。この私が、やるのだ。

 ……見てろ。

 絶対王たらんとする青年の足に、迷いはもう微塵もない。
 ただ愚直に、信念と交わした約束を胸に突き進むのみ。
 止まることはもはや許されぬ。たとえその先に道がなく、崖下に身を躍らせ、赤に塗れて砕け潰れることになろうとも。


 唇をかすかに歪ませ、ふっ、と笑うと、ピサロは……歩き出した。





fin.



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